大阪落語にしか、ないであろう亭号、
笑福亭の名跡です。

「しょかく」と読んでください。(笑)


 初代:

二代目吾竹の門人。1850年頃の噺家。 前名 松喬。
「火消し壷」のあだ名。声がよかったらしい。
大津絵の替え歌が得意

二代目:

松木豊七 ?〜1892(明治25年)初代の門人。鶴松→松橋→四代目吾竹
→松鶴→圓笑(講釈)。元は紺屋の職人。
アルバイトで桃を売り歩いたので「桃屋」と呼ばれた。
明治のはじめに襲名したらしい。
大津絵の替え歌も上手かったらしい。

三代目:

武田亀太郎 1845(弘化2年)〜1902(明治35年)
立川光柳(二代目三光門下時)
→桂慶枝(初代慶治門下時)
→三代目松喬(二代目松鶴門人時)→木鶴→松鶴1879(明治12年)34才
→竹山人(講釈)
浪花三友派を文都、文團治、福松らと興す。

四代目:

森村米吉 1869(明治2年)〜1942(昭和17年)
三代目松竹→萬歳
→桂枝鶴(二代目文枝門下時)→初代枝鶴→松鶴1907(明治40年)38才
→松翁
天王寺詣り、いらちの愛宕詣り

五代目:

竹内梅之助 1884(明治17年)〜1950(昭和25年)
1904年(明治37年)入門 光鶴(20才)
→二代目枝鶴1918(大正7年)34才→松鶴1935(昭和10年)51才
六代目の実父。大工をしながら素人連で活躍。
1936年「上方はなし」発行
天王寺詣り、三十石、高津の富、くっしゃみ講釈

六代目:

竹内日出男 1918(大正7年)〜1986(昭和61年)
 1946(昭和21年)入門 松之助(28才) 
五代目が枝鶴襲名の年に生まれた。
母あさの父は六代目林家正楽。
松之助→三代目光鶴1948(昭和23年)30才
→四代目枝鶴1953(昭和28年)35才→松鶴1961(昭和36年)43才
1972年4月〜島之内寄席始める。
1981年紫綬褒章 受章
天王寺詣り、らくだ、三十石、蔵丁稚、高津の富

七代目:

倉本雅生 1952(昭和27年)〜1996(平成8年)
六代目門人 1970(昭和45年)入門 松葉
→松鶴(没後追贈)



6世は私や仁鶴、鶴光、鶴瓶の師匠です。
5世はその父親です。
7世は私の兄弟子で松葉と言いました。

5代目松鶴は、
本名:竹内 梅之助
戒名:松鶴院釋悟楽
出生:明治17(1884)年9月5日
昭和25(1950)年7月22日午後4時30分没。

6代目松鶴は、
本名:竹内 日出男
戒名:笑福亭楽翁松鶴居士
出生:大正7(1918)年8月17日
昭和61(1986)年9月5日午後11時30分没。

7代目松鶴は、
本名:倉本 雅生
戒名:招福院温心雅松居士
出生:昭和27(1952)年2月19日
平成8(1996)年9月22日午前4時45分没。

法事

五代目笑福亭松鶴

六代目笑福亭松鶴

七代目笑福亭松鶴

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