言わずと知れた、六代目の松鶴!私の師匠であります。(汗)

怒られた事はあまりないんですが、特に誉められたこともありません。

ただ、涙声で頭を下げられた事はあるんです。

何故だかは・・・秘密です。機会があればアップしましょうかね。

酒の噺は天下一品ですが、子供の噺も実はオモロイです。

晩年ロレツが回らなくなったのが残念です。

島之内教会でやってた頃の「島之内寄席」で聞いた、「市助酒」は全身に電気が走りました。

「故郷に錦」なんちゅう噺は、京橋でやってた島之内寄席で一回聞いたきりです。(汗)

有名なのは、三十石、天王寺詣り、らくだ、一人酒盛りですが・・・

土橋万歳、欲の熊鷹、米揚げ笊、遊山船、初天神、辺りが記憶に残っています。

 松鶴の簡単なメモを書いておきましょう。


 六代目松鶴 メモ

・大正07年 8月17日 大阪市西区に生まれる
・昭和21年 松之助で初舞台(28歳)大阪市今里「双葉館」にて
・昭和23年 光鶴に改名  (30歳)
・昭和28年 四代目枝鶴襲名(35歳)
・昭和37年 六代目松鶴襲名(44歳)
・昭和43年 上方落語協会 会長に就任(50歳)
・昭和54年 1月6日〜11日、14日〜20日 毎日国際サロン 「松鶴極め付き十三夜」

・昭和56年 紫授褒章受賞(63歳)

・昭和59年 1月8日〜14日、17日〜22日 北御堂 「松鶴、仁鶴極め付き十三夜」

・昭和61年 3月26日or28日 入院  4月14日 一時退院
       5月28日 再入院
・昭和61年 5月19日羽曳野 明教寺にて最後の高座「無筆の手紙」

・昭和61年 9月5日午後11時30分死去  肺炎合併による心不全呼吸不全 膵炎(68歳)

  戒名:笑福亭楽翁松鶴居士  辞世:煩悩を 我も振り分け 西の旅

・昭和61年 10月3日 勲四等旭日小綬章受章



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