2001年10月01日 月曜日



落語界の超巨星 古今亭志ん朝師匠が亡くなりました。





本名:美濃部強次=みのべ・きょうじ

1日午前10時50分、肝臓がんのため東京都新宿区矢来町の自宅で亡くなった。

享年63歳 東京都出身。

名人として名高い5代目古今亭志ん生師匠の次男。
最初は役者志望だったが、大学受験に失敗し浪人している時に
父の強い勧めで落語家を目指すようになる。

1957年、父に入門して古今亭朝太で初高座を踏む。
59年に二ツ目、62年に真打ちに昇進し二代目古今亭志ん朝を襲名する。

元日劇ダンシングチームに在籍していた聖子夫人とは69年に結婚。
96年、落語協会副会長に就任。
二つ目勉強会を運営し、後進の育成にも熱心だった。

兄は故10代目金原亭馬生師匠、女優の池波志乃さんはめい。

浅草芸能大賞他
72年芸術選奨文部大臣賞。
75年放送演芸大賞。
80年ゴールデンアロー芸能賞など受賞多数。

志ん朝師匠は、持病の糖尿病に加え、
2001年に入ってお弟子さんを亡くすなど、
心身ともに疲れがたまった状態だったという。


4月29日 古今亭右朝(田島道寛=52)肺がん
前座名・志ん八/二ツ目名・志ん八
入門年月 昭和50年11月
出身地 東京都台東区


志ん朝師匠は夏の北海道巡業で体調を崩し、
8月の浅草演芸ホールでの「住吉踊り」の公演中に体調不良を訴え、
精密検査の結果、肝臓がんが見つかった。

公演には病院から通いながら出演したが、
その後、2002年春までの仕事をすべてキャンセルして入院し、療養。
9月24日頃に自宅に戻っていた。
1日午前8時頃に容体が急変。
聖子夫人や5人の弟子らの見守る中で、息を引き取った。

葬儀・告別式は6日正午から東京都文京区の護国寺桂昌殿で。
喪主は妻聖子(せいこ)さん。




鬼籍のページへ


トップへ