2000年6月25日 日曜日



父親が亡くなりました。



死因は「腹部大動脈瘤破裂」でした。

5月に80歳になったばかりでした。あっ、という間の出来事だったようです。
母親と四男がそばにいました。


松高 武雄 享年80歳

大正9年5月に大阪市福島区亀甲町で生まれたはずです。(笑)
左官屋松太郎の長男として生まれました。
小さい頃から利発で、小学校の先生が「勿体ない」と進学を薦めて
やっと上の学校に行けました。でなければ、
跡を継ぐべく左官の修行が待っていたそうです。

文筆家になりたかったようですが、
卒業した朝、枕元には左官の法被が置かれてありました。

そうして、長男として当然のように左官職人になりました。
今では考えられませんね。
また、私が噺家なるときに反対しなかったのも、
このことがあったからかもしれません。

そうして、戦争です。中国戦線に駆り出されました。(汗)

左足に銃弾を受けて傷痍軍人となりました。
戦友の皆さんとはず〜っと懇意にしていただきました。

終戦後かなりの間帰国できず、家族は諦めていたようです。
奇跡的に、なんとか帰ることが出来、仕事にも復帰しました。

しかし、足が不自由では
思うように職人としての仕事は出来なかったようです。
やがて父の跡を継いで職人さんを束ねて
マネージメントの仕事をしはじめました。
良かったこともあれば、良くないこともあり、
順風満帆とはいかなかったようです。

4人の男子の父親として、尊敬できる部分もあれば、
子供から見て相容れない部分も多くありました。

今はまだ逝った実感がありませんが、
四十九日頃には別の感情が沸き上がるかもしれません。

通夜、告別式の話もいろいろあるんですが、また別の機会に。(笑)



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