2000年5月13日 土曜日



プロレスの話です。最強の日本人レスラーの一人、ジャンボ鶴田が逝きました。



「最強は一人だけやんけぇ。」と言わないでね。それがプロレスですから。(笑)

本当に「真剣にやったら、怪物やん」と思わせました。
で、振り返ってみましょうか。

本名:鶴田友美
山梨県出身、1972年ミュンヘンオリンピックの日本代表に。
その後全日本プロレス入団。
「全日本プロレスに就職します。」とコメント。
サラリーマンレスラーと呼ばれる。

73年デビュー。
76年UNヘビー級王座を奪取。
80年チャンピオンカーニバル初優勝。
83年インターナショナルヘビー級王座、
84年日本人として初めてAWA世界ヘビー級王座を獲得。
88年初代世界タッグ王者
89年初代3冠統一ヘビー級王者になる。
92年B型肝炎で入退院を繰り返す。
99年3月6日の武道館大会で引退。

引退後は筑波大学、大学院でコーチ学を専攻。
99年3月からオレゴン州立ポートランド大学の教授を務める。
運動生理学とトレーニング理論の研究をしていた。

2000年5月13日午後4時(日本時間同日午後5時)
フィリピン・マニラ首都圏ケソン市の国立じん臓研究所で
肝臓移植手術を受け、大量出血に伴うショック症状で死去。

享年49歳。

2000年1月に岐阜県内の病院に入院。
その後オーストラリアで肝臓移植を待っていたが提供者が見つからず、
5月2日にフィリピンに来ていた。
銃で首を撃たれた20歳の男性が12日に脳死状態となったため、
13日午前零時から手術が始まった。
終了前の13日午後4時ごろになって、出血が止まらなくなったという。

週刊プロレスの浜部良典編集長
「トップレスラーだった鶴田さんは、引退後もファンに闘病生活など
弱い部分を見せたくなかったのではないか」

藤波辰爾新日本プロレス社長
「鶴田友美氏の突然の悲報に際し、心よりお悔やみ申し上げます。
鶴田氏とは同世代であり、若いころから比較されていただけに、
常に心のどこかに彼の存在がありました。
「ジャンボ鶴田」がいたから今の自分がいる、といっても過言ではありません。
謹んで鶴田友美氏のご冥福をお祈り申し上げます」

他にもコメントは出ていましたが拾い切れませんでした。


ブチ切れた鶴田の怒濤のバックドロップが見たかったです。
もう私の興奮するプロレスには出会えないんでしょうか。

鬼籍のページへ

トップへ